上牧集落の伝説

 雪のちらつく11月頃、牧峠の炭焼き小屋を旅芸人の一行が通る。その中の一人が「私たちは旅芸人で諸国を回っている。重い病の者がいるので少し休ませてほしい」と炭焼きに申し出た。哀れに思った炭焼きは「ここでは食べ物も横になる場所もないので我が家にきてはどうか?」と一行を自宅に案内した。
 当時、村は飢饉で貧しかったが、炭焼きは旅芸人一行をとっておきの芋粥や山菜汁でもてなした。炭焼きの娘は病人を一所懸命に看病し、「飢饉のためこれから奉公に出されるのだ」と涙ながらに身の上を話した。話を聞いた親分風の男はお礼にお金をあげようとしたが、炭焼きは「お金を貰うつもりで看病したのではない」と固く断った。

 その時、「追手が迫っている」と知らせが入る。村人は雪のちらつく中、提灯をつけて峠まで一行を送って行った。大岩の前で村の長は「旅芸人の一行が国定忠治であること。ここからは罪になるので見送ることは出来ないこと」を村人に告げた。別れ際に忠治は涙を流しながら村人に感謝と別れの仁義を切った。
 村人が来た道を戻ろうとふと峠を振り返ると朝もやの中で忠治一行はこちらをいまだみており、ある者は深々と頭を下げ、ある者は手を振りながら感謝の念を示していた。
 その後、不思議なことに忠治が別れの仁義を切った地にあった大岩は次第に人の姿に変わっていったと伝えられる。

 凶悪罪人をかくまったため、この話は口外無用とされてきました。
 その後、忠治は江戸で処刑されますが、上牧では義理人情に厚い恩人として密かに現代まで語り伝えられてきました。

 上牧は牧峠(ひるこ峠)としての長い歴史を持ち、多くの伝説や文化が残っています。そのひとつひとつを大切に後世に伝えるために、集落の皆で調査をし、地域活性化に努めたいと思っております。 皆さんも大自然の中で、歴史浪漫に触れてみませんか?

上牧歴史・文化研究会

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